宇沢弘文氏の評伝である。
長く伸ばした真っ白なひげが印象的だった。
一高時代は医学部進学コース、大学は理学部数学科に進学。
会社員やフリーターを経て、スタンフォード大学のケネス・アロー教授に送った論文が認められ、渡米、経済成長の新モデルを発表、新古典派経済学者としてスタートした。
この時期、のちにノーベル賞を取ったスティグリッツ教授も、宇沢氏の下で研究している。
その後、日本に帰国し、日本社会の現実に目を向けて、新古典派批判を展開、社会的共通資本論を展開する。
昔、岩波書店から出ていた宇沢氏の『近代経済学の再検討』を読んで、分からないままに、えらく納得した覚えがある。
宇沢氏は、氏の考える社会的共通資本として、次のように述べている。
• ゆたかな経済生活を営み,すぐれた文化を展開し,人間的 に魅力ある社会を持続的,安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置.
• 社会全体とっての共通の財産であり,それぞれの社会的共通資本にかかわる職業的専門化集団により,専門的知見と職業的倫理観にもとづき管理,運営される.
• 一人一人の人間的尊厳を守り,魂の自立を保ち,市民的自由を最大限に確保できるような社会を志向し,真の意味におけるリベラリズムの理念を具現化する
『社会的共通資本』
http://www.af-info.or.jp/en/blueplanet/doc/slide/2009slide-uzawa.pdf
かなり、理想的な文章に見えるが、そのとおり、理想なのであろう。これを目指すという、一種のマニュフェストであろう。
そして、職業的専門化集団によって管理、運営される各社会資本を、政治から独立させるという。
専門的知見と職業的倫理観、さらに、真の意味におけるリベラリズム、これによって理想的な社会資本が形成される、という目論見である。
市場原理主義の批判から、さらに積極的に、どういう社会を作るか、運営するか、ということを考えていった。
もはや、それは経済学者ではなく、思想家としての宇沢氏だった。
ノーベル経済学賞に最も近い日本人と言われた宇沢氏だったが、まだまだ学ばなければならない点は多いし、これからも見直されていくだろう。
<目次>
リベラリズム・ミリタント
朝に道を聞かば夕に死すとも可なり
ケネス・アローからの招待状
輝ける日々
赤狩りの季節
カリフォルニアの異邦人
別れ
シカゴ大学「自由」をめぐる闘争
もうひとつのシカゴ・スクール
二度目の戦争
「陰(Shadow)」の経済学へ
“ドレス”と“自動車”
反革命(The Counter‐Revolution)
空白の10年
ローマから三里塚まで
未完の思想Liberalism
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