遠藤周作と探偵小説 痕跡と追跡の文学

金承哲 著

遠藤周作といえば、カトリック作家で、狐狸庵先生。僕なんかは、中学のときに『ぐうたら生活入門』を読んだのが、遠藤周作の初体験だった。だもんで、『沈黙』を読んだときは、それはびっくりした。え? これが遠藤周作なの? ていう感じだったかな。印象が一変した。『沈黙』はそのぐらいすごい作品だった。

その遠藤周作がダシェル・ハメットの大ファンだといいことを聞いて、そうなんだ、と思って、改めて興味が出た。「痕跡の追跡」というモチーフ。それをキーワードに遠藤周作を読み解く。

不思議と探偵小説っていうと、やっぱりワクワクするなあ。

<目次>

第1章 「芸術体験」としての探偵小説(遠藤周作論の脱構築 探偵小説との出会い) 

第2章 遠藤文学の探偵小説的構造(「影なき男」を読む 探偵小説作家としての遠藤周作 遠藤文学の横糸と縦糸) 

第3章 なぜ探偵小説なのか(痕跡の追跡としての探偵小説 技法を問う作家―小説家と批評家としての遠藤周作 探偵小説という技法) 

第4章 遠藤文学における「痕跡の追跡」の諸相(リヨンの犯罪学者E.ロカール―遠藤の痕跡理解の淵源 神を追跡する人・人を追跡する神) 

第5章 探偵小説として読む『沈黙』(フェレイラの棄教―「出発点における不可思議性」 井上筑後守とロドリゴ―「中道に於けるサスペンス」 最期の切支丹司祭―「結末の意外性」 なぜ『沈黙』は「切支丹屋敷役人日記」で締めくくられたのか )

結論の代わりに―今後の遠藤研究のための提言

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